枕カバー

大人になってもなくならない、子供の頃からの習慣というのは皆にはあるだろうか。

 

俺のそれは「自分の枕カバーのにおいを嗅ぐこと」だ。

 

***

 

僕は3歳で既に女性の乳房に性的興奮を覚え、紙に乳房の絵を描いてボッキしたり、4歳で当時の世界194ヶ国の国旗を丸暗記した天才国旗少年としてテレビ出演(番組MVPとして賞金30万円を獲得)するなど、良く言えば個性的、悪く言えばサイコパスの素質もあった…ちょっと変な子供であった。

 

そんな物心ついて間もない頃(?)に、母から一枚のタオルを与えられた。

 

何かの記念品か、引き出物にでも入っていたものだろう。

白地の中央に黒縁取られた大きな赤のストライプがあり、その中に金色の刺繍でロゴマークのようなものがあしらわれた意匠だった。

 

僕はそれをとても、とても気に入った。

青いイチゴ一粒や葉っぱ一枚に泣き叫ぶほど強烈だった感受性(今になって思えば発達障害かもしれない)がプラス方向に働いてか、生命もない何の変哲もないただのタオルを、瞬時に友達と認識したのだった。

 

毎日そのタオルを手離さなかった。本当に片時も離さずに手に持っていたと思う。

そしてそのにおいをずっと嗅いでいた。

(当時は考えもしなかったが、母親がまめに洗濯をしてくれていたから、洗剤と柔軟剤のにおいだったのだろう。)

 

タオルのにおいを嗅ぐと、いつも安心感と幸福感が身を包んでくれた。

その時間はかけがえのない友達と心を通わせ合うための大切な時間であり、単なるリラックス効果以上の特別な意味合いを有していた。

 

ある日、母がそのタオルをちょいと加工して、枕カバーの形にしつらえてくれた。原型を留めないほどではなく、タオルの両端に布紐を縫い付けた程度の簡素なもの。

そのときに、友達タオルに初めて「まくちゃん」という名前がついた。まくらだからまくちゃん。子供らしくそのまんま。

 

これなら寝るときもいつも一緒だ。大好きな友達のにおいに包まれながら眠れる…(まあ、タオルの頃から持って一緒に寝てたんだけど。)

僕とまくちゃんの幸せな毎日は、ずっと変わらずに続くと思っていた。

 

 

だがそれはある日、終焉に向かって動き出すことになる。

 

 

繰り返すが、僕は感受性の強すぎる変な子供だった。それ故に母は教育上、色々な悩みやストレスを抱えていたのもあるだろう。そんな状況下であまりにまくちゃんを手放さない僕に、言い様のない危機感を抱き始めたのだろう。

 

 

ある日突然、まくちゃんがいなくなった。

 

母が僕の知らない場所に隠したのだ。

 

 

いつも側にいた友達を急に失った僕は、とにかく落ち着かなくなり、不安に苛まれた。「まくちゃんはどこ?」と母に聞いても、知らないとはぐらかされた。

 

そんな僕の様子を見ていた兄が、9つも下の弟を溺愛するものだから、母が隠したまくちゃんを見つけてこっそり僕に返してくれたのだった。

嬉しかった。友達は無事だった。また一緒にいられるね。今度はいなくならないで…

 

 

 

それに気づいた母の堪忍袋の緒がとうとう切れた。

 

 

 

『そんなもの、いい加減に卒業しなさい!!』

 

 

 

温厚な母が聞いたこともないような荒げた声で叫び、僕の手からまくちゃんを腕の力で強引に引き剥がした。

 

すごい形相をしていた。あんな母の形相は、過去この時しか見たことがない。

 

 

母は僕の目の前で断ち切りバサミを取り出し、まくちゃんをバラバラに切り裂いて、その場でゴミ箱に投げ捨ててしまった。

 

 

 

 

 

 

 

え。

 

何が起きたんだろう。

 

 

 

大切な友達が、バラバラになった。

 

 

 

 

友達が、死んだ。

 

 

 

 

 

死んだ……………

 

 

 

 

 

 

 

泣き叫んだ。発狂した。

 

友達の““死””を理解した瞬間からその後は、どうなっていたか正直、はっきりとは覚えていない。

ただひたすらに泣いた。それだけを覚えている。

 

母もやりすぎたと思ったのだろう、後日バラバラにされたまくちゃんの一部はゴミ箱から取り出され、僕のもとへと帰ってきた。

でもそれは、変わり果てた姿だった。友達だったまくちゃんは、もう其処には居なかった。ただの布切れに、魂を感じることはできなかった。まくちゃんはあの瞬間、僕の中で明確に死んだのだ。

 

(誤解を解くように補足すると、母はとても良い人だ。本当に恵まれた母の下に生まれたと思っている。俺に対して特に厳しい態度を取られたのも、記憶に残っているものではこの件とあとひとつくらいしか知らない。)

 

***

 

――それから月日は流れ、現在。

 

俺は26歳になる今でも、まくちゃんの時の癖が抜けずに、未だに自分の枕カバーのにおいを意味もなく嗅いでしまう。

身体が半ば勝手に動くものだし、そもそも誰に迷惑をかけるでもないこの癖を治そうと考えたことも一度もない。誰しもひとつは、こういう性質を持ってるものだと思うから。持ってるよね?

 

今俺の枕にかけられている――気持ち悪いオッサンににおいを嗅がれ続けている――枕カバーは、「二代目まくちゃん」だ。

初代まくちゃんがいなくなったあと、何時からだったかは覚えてないが(割とすぐだったと思う)、初代と同じように引き出物のタオルに布地の紐を縫い付けた手作りの枕カバーを与えられた。

グレー地に黒の多角形が幾つかポイントされただけの、初代に比べれば幾分地味な意匠だ。なお、裏返すと色が反転するリバーシブルデザインである。

初代まくちゃんの死から間がそんなに空いてない頃からの付き合いとすると、彼此れ20年は俺の睡眠時のパートナーを務め続けてくれている、立派な老兵ということになる。

 

長年の仕事で表面の繊維がほとんど抜け落ちてしまった二代目まくちゃんにも、つい先日とうとう大きめの穴が開いてしまった。洗濯にかければ、ほつれて糸くずになってしまうだろう。

 

ただのタオルなのに、よく頑張った。そろそろ退役させてあげようと思う。

 

新しい枕カバーa.k.a.三代目まくちゃんは…近所のサンキで変な意匠のタオルを買ってきて、今度は俺自身で布地の紐を縫い付けてやろう。

 

まあ、3日にいっぺんしか風呂に入らない小汚いデブのオッサンの頭皮のにおいなど、染みつけたくないだろうがね。